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東京高等裁判所 昭和33年(う)1212号 判決 1958年9月25日

控訴人 被告人 成楽守

弁護人 平井博也

検察官 子原一夫

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平井博也作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用し、これに対して次のとおり判断する。

控訴趣意第二点について。

原判決が、その理由において、被告人が自動車運転者として所論摘録のような業務上守るべき注意義務があるのにかかわらず、この義務を怠つた過失により本件衝突事故を惹起し、被害者高橋友二郎に傷害を負わせたものである旨の業務上過失傷害の有罪事実を認定判示していることは、所論のとおりであつて、これに対して所論は、本件衝突事故は、被害者たる高橋友二郎の自ら招いた傷害であつて、被告人の過失に基因するものではなく、被告人は、何ら刑責を負うべきものではないから、原判決には、この点につき事実の誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨を主張する。よつて案ずるに、原判決の挙示する証拠を総合して考察するときは、所論の点をも含めて原判示事実のすべてを肯認し得られるのである。なるほど、所論の挙げている証拠によれば、本件衝突事故の発生については、被害者たる高橋友二郎の側にも過失の存在が認められることは、所論の指摘するとおりであるけれども、所論のように、同人の過失のみによつて本件事故が発生したものであつて、被告人には、全然過失がなかつたと断ずることは、正鵠を得たものということができない。所論は、本件の交さ点においては、被告人の進行して来た道路が被害者の進行して来た道路に対し優先通行順位にあつたことをもつて、被告人に過失がなかつたことの根拠としているもののようであるが、なるほど、被告人の進行道路が優先通行順位にあつたことは、所論のとおりであるけれども、しかし、およそ、自動車運転者たるものは、いかなる場合においても、他との衝突を避けるにつき、そのなし得べき最善の措置を講ずべき業務上の義務があるものであつて、(昭和九年七月一二日大審院第一刑事部判決参照)道路交通取締法が安全交通の建前上、その第一七条、第一八条において、車馬又は軌道車の通行順位を一応定めているからといつて、これがため、先行順位の運転者に対し、運転上必要な注意義務を免除し、警音器吹鳴、一時停車、徐行等をなすべき義務がないとしたものと解すべきではなく、先行順位にある者であつても、右の法規を無視して進行路上に侵入して来た車馬等に対しては衝突させてもよいという道理はない訳であつて、もし、このような交通法規を守らない車馬等があつた場合には、これとの衝突を避けるためにも、警音器吹鳴、徐行ないし一時停車等の措置をとり得るよう注意すべき義務があるものと解するのが相当であるから、被告人が先行順位にあつたからといつて、ただそれだけで、被告人に過失がなかつたと断ずることはできないものといわなければならない。所論は、被告人は、被害者の進行して来た道路上には、右交さ点の入口に近く屋根の黒い小型四輪自動車が停車していたので、右は、被告人の車が通過して後に進行するため避譲しているものと思い、なお、その道路上には、他に交さ点に向つて進行して来る車馬がないことを確認したので、そのまま進行したところ、右小型四輪自動車の陰から被害者の足踏二輪自転車がとび出して来たものであつて、しかも、その自転車は、ブレーキが利かなかつたため、本件事故が発生するに至つたものであるから、被告人には、何らの過失もなかつたものである旨主張するのであるが、しかし、本件交さ点のように、信号機の設置されていない交さ点においては、たとえ一応車馬等の通行順位が定められていたとしても、前後左右の道路から、同時に交さ点に進入して来る車馬、通行人等があり得る訳である上に、原判決挙示の証拠によれば、本件被害者のように、前示小型四輪自動車の陰にいるため、被告人の車が進行して来たことに気付かない者もあるかも知れない状況にあつたことが認められるのであつて、もし、被告人において、これらの者に自己の車の存在を知らせるため、警音器を吹鳴し、又は、同文さ点に進入して来る車馬、通行人等との衝突を避けるため、いつでも急停車をなし得る程度に徐行するか、ないしは、一時停車して、同交さ点に進入して来る車馬、通行人等のないことを確認してから進行する等事故を未然に防止するに必要な措置をとつていたならば、本件事故を回避することができたであろうと考えられるところであるから、被告人には、前示のような措置に出るべき業務上の注意義務があつたものと認むべく、原判決援用の証拠に徴するときは、被告人が右の注意義務を怠り、前示の措置に出なかつたことが認め得られるのであつて、この過失が本件事故の一因をなしていることは、まことに明らかであるといわなければならない。これを要するに、原審で取り調べた証拠を総合考察するときは、本件衝突事故は、被害者の過失と被告人の前示業務上過失とが競合してこれが原因となつて発生したものと認めるのが相当であつて、所論のように、被告人には全然過失がなかつたものということはできないものであるから、原判決が、その挙示する証拠によつて原判示事実を認定したことは、相当であつて、記録を精査検討してみても、原判決に所論のような判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるものとは考えられないから、論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 鈴木良一)

弁護人平井博也の控訴趣意

第二点原判決には、重大な事実誤認があるから破棄さるべきである。即ち本件事故は、被告人の過失ではなく、被害者自ら招いた傷害であるに拘らず、被告人の過失となして有罪の認定を為したるは甚だしい事実の誤認である。原判決は、被告人の故意義務の内容を、(被告人は)昭和三十二年九月十九日午後一時四十分頃三輪貨物自動車を運転して、石原町一丁目交叉点方面より蔵前橋方面へ向け時速二十五キロ位で進行し、東京都墨田区横綱町四番地先道路の交叉点にさしかかつたが、同交叉点の左右に通ずる道路の見とおしは悪く同方面から車馬等の進出するにおいては、出会頭の衝突の危険が予想されるから、かような場合自動車運転者としては、十分に減速徐行すると共に左右に通ずる道路から車馬の進出の有無を確認して進行しなければならない業務上の注意義務がある」と認定し本件は「被告人が右義務を怠りて他の方向の道路の交通の安全を確認しないで前記速度(二十五キロ位)のまま漫然進行したため左方両国駅方面より進行して来た高橋友二郎の操縦する自転車を左前方約八メートルの距離に発見しあわてて避譲急停車の措置を講じ」た為の事故であると認定した。

そこで被告人が前示注意義務を怠つたかどうかを考えてみる。

先ず検証調書に於ける被告人の指示説明によると、(記録二十丁表裏)検証調書第二図面(ト)点に於て被告人は同図面(ニ)点に(ホ)点を向いて停車している屋根の黒い小型四輪自動車を発見し、その車は、被告人の進行している同図面(イ)点道路に出ずにいたので被告人の車が(ヘ)点を通過して後に、(イ)点に出る為に避譲してくれているものと思つたという。検証調書第一図面によると、被告人の進行している(イ)点道路は、被害者高橋の進行して来た(リ)点の道路に優先する道路(道路交通取締法第十八条一項)であることは明白であり被告人の進行道路が優先道路である以上この判断並に確認は当然である。

而して、右(ト)点で同図面(チ)(リ)方面(被害者高橋の自転車が進行して来たという方向)を見通したところ同方向から右(イ)点道路に向つて来る車馬が無いことを確認したので、(ニ)点の車の前の(ヘ)点を通過しようと思つて、(ヌ)点に差しかかつたとき(ニ)点の車のかげから被害者が足踏二輪自転車に乗つて(イ)点道路にとび出して来たのである。そうして、右自転車のブレーキが全くきかないものであることは、被害者自身認めており(記録四〇丁表)証人抽口一英もその旨証言しているのである。(記録五六丁表)一方被害者高橋は、第二図(ル)点で同(ヌ)点から(マ)点に行く車がないようだつたので(イ)点道路に出ようとしたところ突然(ヌ)点を進行中の被告人の車を発見した。(記録二十三丁表)然も(ニ)点に、一時停止している屋根の高い車を認めていながら右、(ヌ)点から(マ)点に行く車がないと判断し、一時停車をしなかつた理由は記録二十三丁裏の指示説明によると(ヤ)点を運行中(ム)点を(マ)点の方向に進んでいつた小型三輪貨物自動車があつたのでその後からは車はもうこないと、実に非常識な独断的な判断をしてしまつた為である。狭い道路から広い道路に出るのであるから、当然一時停車をしなければ事故は免れないのは常識である。同人の証言(記録四十四丁裏)によつても「直感で来ない安全だ」と思つてしまつた為の自殺的行動であることが判然とする。

被告人は、司法警察員に対する昭和三十二年九月十九日付供述調書(記録八十三丁裏)及び検察官に対する供述調書(記録八十九丁表)に於て本件交叉点附近に来たときに(リ)点道路から一台の小型貨物自動車が出て来て停車したのを十二・三米先に見て被告人の車が通つてからその停車した車はこの大通りに出ると安全を確認した安心した気持で速度もそのままで交叉した入口に入つていつたのである。交叉点に入る以前から、被告人の進行道路は、被告人の供述並に道路許可申請書(記録第六四丁)によつて明白なとおり、約七十米余に亘り下水管の工事中であつた為被告人は運転にはかなりの注意をはらつていたのである。加えて被告人はこの道は、一日一・二回位は通る場所で馴れた道路であるから、不案内な土地とちがつて勝手は熟知しているのである。検証調書(第二七丁裏)によると、被告人が進行して来たという(ト)(ヌ)点より被害者の進行して来た(ク)(チ)点方向は、(ニ)点に停車して居た車があつたとしても容易に見通しが出来る状況にある旨認定しているが、右検証は、(ニ)点の自動車並に(ク)(チ)点に於ける被害者の自転車が完全に静止の状態において検証したものの如くである。然し乍ら(ニ)点の自動車は、(リ)点道路を運行中(ニ)点に一時停車したものであり(前述の如く被告人の運行する道路は、優先道路であるから)(ク)点の被害者も仕事の道具を忘れて来たので昼休みを利用して家に取りに行く途中のこと(記録三十九丁裏証人高橋の証言)とて、相当スピードを出していたものと思われ、(ヌ)点の被告人の車も時速約二十粁で進行中のものである。

従つて、事件当時右三者が相当のスピードをもつた動的な状態にあつたに拘らず見通しがきくか否かの重要な点の検証が静止の状態に於て為されたということは、検証の結果に対する信憑力を極めて弱いものにすると言わねばならない。

従つて同検証調書(二十九丁表)の結論として(ト)(ヌ)点方向より来た被告人の車も(ル)点方向より(ヲ)点方向に出て来る被害者高橋の自転車があることを確認する為に(ト)(ヌ)点に於て徐行及び警音器を吹鳴する等の措置を講ずれば、早急に証人高橋友二郎の自転車を認められ得たかも知れない状況にあることがうかがわれたと自信のない結果を出しているのである。従つて被告人が、被害者高橋の自転車を認め得なかつたのは被告人の不注意というよりも、一時停車した車によつて、その裏側の視界がさまたげられてしまつたからであるという被告人の弁疎は右検証調書によつてもくつがえすことは出来ないのである。

要するに以上によつて本件現場の状態に於て、本件事故前被告人が交叉点の十二・三米手前で左右に通ずる道路から車馬の進出による衝突の危険はないと安全を確認し安心して進行した事実は、充分にうかがわれるのである。それにも拘らず、判決は、安全を確認した被告人に対し徐行をそして警音の吹鳴を命ずるのであろうか。本件現場の如き交叉点は、東京都下には正に無数といつてよい程ある。それらの交叉点に於て、一般に自動車運転者たるものは、安全を確認したに拘らず、更に徐行し、警音の吹鳴をせねば万一事故が発生した場合業務上過失致死の刑事責任を免れないのであろうか。自動車運転者は、ブレーキの利かない自転車に衝突するのを回避するべき注意をも要求されるべきなのか。世界一の交通量をもつ東京都下の道路上を、ブレーキの利かない自転車を走らせることが既に自ら死を求める行為に等しいと断じなければならない。

本件に於て、若し被害者の自転車のブレーキが利いていたならたとえ、本件の如く被害者が(ル)点に於ける一時停止の義務を怠り交叉点に進出したとしても、ブレーキをかけた(ヲ)点に於て直ちに停止して事故を免れることが出来た筈である。本件に於ては、(ヲ)点に於てブレーキをかけたが利かなかつたので結局(ケ)点までとび出してしまい被告人の車に接触してしまつた為、かゝる事故が発生したのである。被告人がハンドルを右にきりつづけておれば、或いは、事故の発生はなかつたかもしれないが、被告人の警察員に対する供述調書(記録第八四丁裏)にあるとおり目前に幼児を背にした婦人がいたので無意識に、衝突の危険を避ける為に左にハンドルを切らざるを得なかつたのである。又、被害者高橋は、被告人が事故発生寸前、助手台の男と話をしていた旨証言するが、かかる事実は被告人も強く否定するとおり全くの虚構である。以上要するに本件は、被告人の注意義務違反による事故ではなく被害者の自殺的行為による被害者自身の不注意によつてのみ惹起されたものであるから、被告人の刑事責任は、皆無であり、この点を看過した原判決は、事実誤認も甚しいものと断じなければならない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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